美術の祭典 東京展 TOKYOTEN
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2016東京展美術協会主催講演会  
第42回美術の祭典東京展主催講演会

文責:東京展美術協会運営委員長 齋藤鐵心 

 本年の東京展美術協会主催の講演会は、講師として美術史家、多摩美術大学教授の本江先生をお招きして「絵画とは何か?」と題して、9月10日都美術館講堂で催された。洞窟壁画から現代美術までを網羅し、それらを検証、統合し新たなる「絵画」観を再提示する試みであった。聴衆は超満員とはいかなかったが、東京展と同時開催中の主体美術、院展、他美術館関係者、美術雑誌社、美術評論家の出席もあって、皆興味津々の雰囲気で始まった。内容は専門的で結構難しかったが、図解に沿った表題、説明、壁画から現代美術までの多数の作品のスライドによる提示と解説で、専門外でも理解しやすいように構成されていた。詳細はここでは書ききれないが、大体の概略を示すと以下の通り。
1、「特別な場所の中の美術」として、美術ないし芸術は人類と同時に誕生した。しかし美術は今だ(特別な)場所に捕らわれていた。時間と空間、現実と非現実、壁面の凹凸の交差=絵画の始まり。(洞窟壁画)。2、場所と向き合う美術=ミメーシス(模倣)の定義、トロンプ・ルイユ絵画の解説(ポンペイのトロンプ・ルイユ等)。3、理念(場所としての)に奉仕する美術:西欧。と題し西欧の全面的なキリスト教化により模倣は後退、沈潜。テクストの優位が確定、概念として実践化された理念は思うがままにイメージを支配するようになる。とアレゴリー状態の解説。(福音書等の画像の提示)。4、人間中心の美術:ルネサンス。美術が場所を仕切る:線遠近法、空気遠近法の解説。5、コンセプチュアリズム。美術は場所と対等ある。「芸術とは芸術の定義である」(J.Kosuth)。機能停止に追い込まれた絵画。等の解説。6、場所を取り込む美術。人間の最高の表現形式としての美術は本来、「利用」出来るものではない。現代美術は高度に発達した資本主義社会のあだ花であり、矛盾に満ちた存在である。それは、都会もしくは郊外、つまり矛盾に満ちた場所で意味を持つ。との見解を披露。7、(絵画)という問題。無味乾燥な自己模倣、1980年代に絵画の発展は終わりを告げ、その後は目立った潮流は出てこず、「何でもあり」の状況になっている。芸術そのものが見世物化していると指摘。Andy Warholの作品から始まり、日本人、外国人の作家の多岐にわたる作品の紹介。絵画を制作するうえでの写真使用の問題点、ニューヨーク近美の絵画展(2015)(永遠の現在展)の感想を交え、最後にギリシャの哲学者プラトンの比喩に言及し、「プラトンは絵画を、また芸術一般をただの模倣にすぎないという単純な理由で否定しようとした訳ではない。(中略)絵画こそは目の前の壁に背後の明るい入口から投げかけられた影のメタファーというべきものであり、すべての影がそうであるように本質的に2次元に関わるものである。」と看破して見せた。「こうした2次元性こそ、人間の認識の限界であるとともに、イデア界への唯一の通路であることを思えば(中略)あらゆる認識は本質的に不完全であるが、まさにこの不完全さに完全なるもの、つまり影の本体というべきものが関与している以上は、あらゆる知性はここから、つまり彼方から投影されたものから出発するしかないのである。」と絵画の捉え方の本質を我々に提示、示唆してくれた。絵画制作を常としている者にとっては大変参考になり、充実した講演会であった。


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